not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

うさんくさい本を読んでみる


毎度とまべっちのうさんくささには驚かされるがおもしろい。特に興味深かったのは仏教の話だ。

・抽象度をあげると究極的には「空」に辿り着く。例えば犬→哺乳類→生き物→・・・→空というように。

・釈迦はこの世に独立した実体などなくすべて互いに関係し合っているという。これを「縁起」という。例えば自然数に偶数と奇数があるが、奇数とは偶数ではないものである。お互いがお互いを定義しているのだ。人間と人間以外のモノ。両者とももういっぽうが存在してはじめて定義することができる。無限に広がる「網」を想像したとき、その「網目」だけを取り出すとそれは存在しているといえるだろうか。答えは否、存在しているとは言えない。網目は「仮」の姿で存在しており、それを切り離したらそこには「空」しか残らない。これを「空観」という。

・脳幹レベルの欲求=食欲、性欲、睡眠欲が満たされないことによる苦しみを「苦」という。しかし「苦」も自分が認識しているだけの幻想かもしれない。自分が不幸になるかもしれない原因がすべて幻想ならもう自分は幸福になるしかない。しかし人類が皆煩悩を捨て去ると滅亡してしまう。そこでもう一度世界を「仮」の姿で見る。コップを見て「水を飲むもの」と認識したらコップにはそのような「仮の役割」があるということだ。このように世の中のすべてを役割に持たされた仮の姿と見るのが「仮観」である。

・釈迦は「空観」と「仮観」のどちらも欠いてはならないと説いた。すべてを「空」だと知った上で同時にすべてのものに「仮」の役割を見出していく。すると結局のところ子の世の中に何一つ役割のないものは存在しないということがわかる。この考え方を「中観」という。

「1億円持っていると幸せ」「1億円持っていると不幸」どちらも幻想であると見るのが空観方式。どうせどちらも幻想なら自分が望むほうを選択したほうが途中の過程を楽しめる。それをわかったうえで仮のゴールを設定し「じゃあ試しに1億円稼いでみましょう」としてがんばるのが仮観方式。それで1億円本当に稼いでもその幸せは仮観であることに注意しなければならない。煩悩に振り回されないようにするのがよいということだ。一度立ち止まって抽象度をあげて考えることを「止観」という。


このような考え方は知らなかったので新鮮だった。何かを達成した時、所詮こんなものは幻想だと思うふしが自分には前からあってそれはもしかしたら「止観」と呼べるかもしれないなあ。