「個人的な体験」はのがれられない人間の根源にせまる恐れをよくあらわしていると思う。障害をもった子どもが生まれそれを育てていくという責任。作者自身の子どもがモデルになっているから興味深い。普通障害を持った子供をもつ親としては「幸せにさせたい」という思いから懸命にかわいがってあげるのではなかろうか。しかし主人公バードは鼻から頭部に異常をもったその赤ん坊を醜いと感じていた。まわりの医者たちも醜いと感じ、延命措置を拒もうとするくらいであった。研究材料としか見られない赤ん坊。それでも生きていることは生きている。
バードは昔の知人、火見子と関係を持つ。障害をもつ赤ん坊の顔を見ていない妻を病院に置いて。障害を持っていることも知らないのである。妻の前では見せかけの演技をするバード。本来なら妻を支えるのが夫の役目であるがこともあろうに浮気をするバード。加えて予備校講師の仕事も首になる。
現実から逃げたい。恐れから逃れたい。これは人間の本質にせまっていると思う。
赤ん坊をついには知り合いの医者に預けてそのまま見殺しにしようとするバード。彼にはその重い責任から逃れ前々から憧れていたアフリカに行けるはずであった。最後の最後まで自分とのせめぎ合い。自分をだましながらこのままいくのがよいのか。
最後にバードが「おれが赤ん坊を救い出す前に事故死すれば、おれのこれまでの二十七年の生活はすべて無駄になってしまう」と言うがこれが「成長」を表していると思う。バードは成長したのだ。冒頭のバードとは違うのだ。
アスタリスク以後の部分は出版直後非難の嵐だったそうだが、僕は消すべきではないと思う。楽観的な結末を期待すると言う非常に身勝手な態度かもしれないがバードの未来が良いものに思えるような終わり方だからとても好きだ。
バードには飛んでいってほしい。そう思える作品であった。