not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

「やればできる」と日本の就職活動について。

12/1に日付が変わった直後、マイナビのエントリーが始まったようだ。僕は3回生だが留年+院進学(確定ではない)をするので就職活動はしない。今日学校に行くと同級生が早速スーツを着て学校に来ており説明会へ行くと言っていた。それを見て就職活動が人ごとではないなあと思った。

今日はたまたまソーシャルリクルーティングという会社の代表の方が学校に講演に来られていたので聞きに行った。フェイスブックなどのSNSを使ってWeb上に履歴書などを置き人事の方とやりとりをするのがソーシャルリクルーティングの概要だ。地方に住む学生にとってはわざわざ東京・大阪に出なくてもWeb上で就職活動を行えるというメリットがある。まだまだソーシャルリクルーティングは日本では少ないように思われるが欧米や中国では盛んに行われているようだ。その波に乗っかれといわんばかりに今ソーシャルリクルーティングがアツいというわけだ。

戦国時代、日本では身分の固定化が図られていたと聞く。武士の子は武士、商人の子は商人と言う風にそこに職業選択の自由はなかった。20世紀に入り高校全入時代、大学全入時代とへて今では職業の選択は自由で広く門戸が開かれていると思う。身分によって職業が決まらないと言うことは個人の能力によって採用が決まると言うことだ。ということでみんな難関大学卒業を目指し受験勉強に励むようになった。このように努力をすれば希望の職業につけるという考えが広く人々に浸透していた。ドラゴン桜がブームを起こし東大への入り方がテンプレート化されて今まで東大へ行く考えを持っていなかった人が「やればできる」を信じたくさん合格していった。そして今の就職活動。学歴差別があると言えどどの企業にもエントリーできるしTwitterFacebookを活用すれば今まで会えなかったような社会人エリートに会うことができるようになった。「twitterで連絡をとって会った」というような話はもはや日常会話でされても何ら問題はない。大学受験と比べれば選択の自由度はさらに増したと言えよう。機会は用意されている、動くか動かないかはあなた次第だという状態である。僕はこのように自由に職業が選択出来て個々自由に就職活動ができることはすばらしいと思う。

しかし僕が心配なのはこのがんばったら希望のところへ就職できるというレースにうまく参加できなかった人だ。本人はがんばっているつもりでも思うように結果が出なかったりする人は多い。先日関東で就職活動デモというのが行われた。就職活動を批判し、新卒一括採用をやめろなどのメッセージを発していた。これをFacebookで見たのがここに寄せられていたコメントは「行動力は認めるが誰に対してデモをしてるのかわからない」「他人のせいにするな悪いのは自分」「10社受けてダメなら30社受けろ」というものが大半だった。

成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)

成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ (ちくま新書)


僕はこれらのコメントを見て先日読んだ経営コンサルタント波頭亮さんの『成熟日本への進路 「成長論」から「分配論」へ 』を思い出した。この本によると「自力で生活できない人を国が助けてあげる必要はない」と思う人の比率は日本が世界一らしい。世界で最も弱者に厳しい日本。就職活動デモを行っている人たちは就職活動というレースの中で弱者であろう。そのような弱者を自己責任論に結びつけて批判するのはあまりにもひどいし悲しいと思う。僕は具体的な行動を思いついてそれを実行する自信はないけれど彼らがなぜデモを行っているのかを考えてなぜそのようなデモを行わなければならなかったのかを考えるべきだと思う。何が変われば彼らはデモをしなくて済んだのだろうか。僕は波頭さんの本に紹介されていたベーシックインカム(BI)に賛成で最低限食える生活を保障するのが解決法だと思う。今就職活動に失敗したらお先は真っ暗だと考える人が多いしフリーターをしていても先が見えない不安感に苛まれ嫌々働くことになる。働くことが嫌でも食わなければならないから働くのを辞めることができないという悪循環に陥る。それだったらいっそのこと食う生活を保障するのが良いのではないか。BI+バイト代でちょっと旅行などをしたりして気分転換をするのも大事だろう。バイトをせずに時間をつくりスキルをつけるための勉強をするのもいいだろう。

話はソーシャルリクルーティングに戻る。ソーシャルリクルーティングは現存の就職活動の悪いところをカバーしているとは思うが新たな問題を生むと思う。それは情報リテラシーがある人とない人との競争だ。正味Facebookやってない人なんてごまんといるし、やってても日常的に活用している人はまだまだ少ないと言えよう。それで僕は代表の方に「情報リテラシーのない弱者にあなたはやればできるとか努力しないのが悪いと声をかけるのか」と尋ねた。代表の方は苦笑いされながら「リクナビがWeb上でサービスを開始した時もPCを持っている人、持っていない人とで格差が生まれたことが問題にされました。でも今PCを持ってない人はいない。このようにFacebookを用いたソーシャルリクルーティングも時代が進むにつれて皆Facebookを使いこなせるようになるので問題ない」と答えた。いやほんと弱者を見捨てるなあ。時代がすすんでfacebookを使える人は増えると思うけど今使えない人はどうするんだろう。「がんばって使いこなせるようになってください。使いこなせなかったらがんばらなかったあなたが悪い」というのなことを言うと思う。

SNSを全くやってない人=Web上に自分の情報がない人はこの世に存在しないというはもう例え話でも冗談でもないと思う。そういう人が人々から無視され無関心の対象になっていくことは本当にさみしいことだ。また就職活動のレースに脱落した人も忘れられていくと思う。「職業で友人を選ぶなんてひどいことはしないよ」と言っても人それぞれ過ごしている時間は違うしそんなに頻繁に会って話をするのは難しい。それにレースに負けた人が勝った人に「今度遊ぼうよ!」と誘うのはあまりないと思う。なんだか申し訳ないし話なんて合わないと思うのが普通だろう。僕は「やればできる」「がんばったら報われる」という言葉にがんばれなかった人が必ずいると思うともう聞くのが嫌になった。