not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

迷った時辛い経験を選ぶ人はマゾなのか

ソーシャルリクルーティングの代表の春日さんが「迷った時辛い経験を選ぶことにしている」と言っていたのでこの人はマゾなのかと思った。僕としてはわざわざ辛い経験をするってのいうのが理解できなくてより辛くない方の選択肢を選びたいタチだ。でも「苦労は買ってでもしろ」という人は特に年配の方、人生経験豊富そうな人が言いそうな言葉である。なんでそんなことを言うのだろうか。春日さんは過去に辛い経験をしたときに自分が大きく成長したのでまた辛い経験をすれば自分がまた成長するだろうという予想のもと、辛い経験を選んでいると言っていた。また辛い経験の方が後から振り返った時思いだしやすく、特に何もせずにダラダラ大学生活を過ごすのなら辛い経験をしたほうが思い出が残せると思ったとも言っていた。この点について僕は同意できない。確かに辛い経験は記憶の印象に残りやすい。しかしそれは思い出すという行為には目的が毎回あり、それによって辛い経験が思い出しやすかったり、楽しい経験が思い出しやすかったりするだけだと思う。例えば初対面の人に「中学校のときの思い出はなにか」と聞かれれば僕は初対面の人と辛い経験を話したいとは思わないので楽しい思い出を思い出そうとする。そしたら結構思い出せる。だからダラダラ大学生活を過ごしても楽しい思い出はできると思うし、人間いつ死ぬかわからないんだしわざわざ辛い経験をしようとも思わない。辛い経験してる最中に死んだら嫌でしょう?

たぶん辛い経験の方を選ぶと言う人は「筋トレをするときってしんどい思いをしたほうが筋肉が付くでしょう?」ってことが言いたいんだと思う。筋肉増量(=自己成長、欲望を満たすこと)のためには負荷の重いダンベル(=辛い経験)を持ちあげなければならないということだろう。春日さんはこれを辛い経験と呼ぶかもしれないが、僕はこれを楽しそう、おもしろそう経験と呼ぶ。なぜかと聞かれればよくわからない。おもしろそうと思うから。よって春日さんと僕の行動の選択における価値判断は違うが選択する方は同じということだ。

迷った時楽しそうなほうを僕は選びます。