not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

公文式の教育


twitterでフォローしてる方が日本の教育を批判してたのを見ていろいろ考えた。まとめると優秀な人にとっては集団で授業を聞く意味はあまりなく、自分で勝手に教科書読めばわかるから日本の教育はハテナなところが多いということだ。またネットに専門的な情報も多くある現代においてそもそも物理的な学校は必要があるのだろうかという。

僕は学校の意義は友だちをつくることくらいしか思い浮かばない。「独学最強」だと思っている。初めての独学は公文だった。小学生~中学生のときに公文式に通っていたのだけれどそこの教育スタイルは割と好きだった。公文は塾だから独学とは違うのだけれどかなり放任主義で先生から指導されることはあまりない。公文ではまず入会するとテストを受ける。そして自分がわからないところからスタートさせられる。英語は小2から始めて最初からできなかったので「Apple」を発音するとかそういうレベルからスタートした。数学は小6くらいから初めて掛け算の筆算から始めた。これは結構屈辱的で先に公文を始めた友だちなんかを見るともう中学生の因数分解なんかをしている。「おやおや。まだ掛け算なのおまえwwww」みたいな感じで馬鹿にされるのだ笑。バカにされるのが嫌なのでしっかり出された宿題をこなした。そしたら学校の授業を追いつき、そして追い越していった。追い越したらすべて学校の予習となるのでかなり助かったと言える。

公文にも悪いところはある。それは徹底的にマニュアル化されたプリント学習だ。これのせいで生徒に勝手にプリントを解かせておけば生徒が勝手に学習してくれるが生徒が高度な質問すると先生が答えられないということがある。公文というのは宣伝のせいか小学生がやるものと考えられている場合が多い。多くの人はなぜか中学に入学するときに辞めてしまう。それは同じ教室にいる生徒の大半が小学生だからだろう。公文には学年を超えて学ぶというスタイルなので隣の小学生が自分より高度な勉強をしていることがある。そういうのって嫌だと思う人がいるから辞めていくんだろうな。あと一番多いのが「友だちが辞めるから辞める」。そうやって多くの友だちが辞めていった覚えがある。かく言う僕も中3で辞めてしまったが。

中2くらいで周りの友だちが辞めていったので公文は完全に勉強するところとなった笑。そこで自分から勉強することを学んだのかもしれない←大げさwww。辞めたいと思うときもあったが中3まではやってもいいかなくらいで続けていた。公文は「継続は力なり」という標語を掲げているんだがまさしくその通りである。高校に入ってから何度「やっててよかった公文式」と思ったことか。ということで今でも独学スタイルが良いのではないのかと思っています。