not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

糸井さんの「インターネット的」を読んで

糸井重里とわたし

糸井重里という人物は小学生くらいのときから知っていた。最初は釣りが好きな人として知って、コピーライターもしていたということを知ったのは大学生になってからだ。なぜ釣りが好きなのを知っているかというと、当時コロコロコミックに釣りのマンガかゲームについての記事を載せていた記憶があるからだった。

おいしい生活」というコピーを知って、なんかすごいらしいぞというのを2,3年前に思ったような気がする。「おいしい生活」とは何かよくわからないというのが正直な感想だった。加えてコピーは短いので、素人でも書けるのではないかと思ったりもした。しかし先日読んだ「リクルートの奇跡」という本には、「おいしい生活」の企画書はとても分厚く、当時の時代について入念に解説されており、「おいしい生活」がなぜ良いのかというのが書かれていたそうだ。そんなことを読んでますます、よくわからない、なんでそんな企画書が必要なんだと思った。だから糸井さんのことを正直、たまたまうまいことを言っているだけの人と疑っていた(いまも少しは疑っている笑)。

最近広告関連の会社で働く人と話す機会があって、思い切ってこの疑問をぶつけてみた。おいしい生活の何がすごいのかわからない、素人でも書けると言った生意気な質問をした。その社会人の人は割と普通に僕の素人でも書けるという意見に同意してくれた。加えてあのコピーは当時の時代のことを言った物だから、現代の僕がわからないのも無理はないと言った。そのあと、おいしい生活の簡単な解説をしてくれた。

さて、そういう経緯を持って、糸井さんのこの著書を取ってみた。めちゃくちゃおもしろかった。細かい部分の感想は下に書くとして、まずは全体的に好きなところを述べたい。それは糸井さんの「わからないところをわからない」という良さと、糸井さんが、日常生活での出来事を過去の体験と結びつけて、新しい知見を平易な言葉で伝えてくれるところにある。「うんうん、そうだよなあ」「わかるわかる」と頷ける箇所が何個もあり、読んでいて楽しかった。

素人が輝けるインターネット

僕がこの本を読んで思ったのは、インターネットって素人のおもしろさが伝わりやすいところだなと思った。これまでのテレビや雑誌というメディアでは放送できる時間や掲載できる紙面の広さの都合で、プロじゃないとなかなか情報を発信することができなかった。それに加えてスポンサーのことも考えないといけないので、すべてのことを発信することは出来ない。インターネットなら個人で簡単にページが持てるし、それを発信するコストもほとんどかからない。

前に松本人志の放送室でプロのお笑いの難しさという話題が出ていた。僕はあまり思ったことはないが、芸人を見て、「あんな誰でもできることで金もらうな」と思う人もいるらしい。それは誰でも一度は人を笑かしたことがあるから、人を笑かすということだけ見れば、素人でもできるということだ。でも実際、プロの芸人は身内過ぎる話はしにくいし、お客さんは初対面の人が多いし、年代もバラバラだ。そのようなお客さんを笑かすことは難しい。それもたまたま笑かしていてもだめで、いつどこでも、どんなお客さんの前でも笑いを取れることを求められる。僕はプロというのは再現できることだと、この話から思った。

お笑いの素人の人の意見も、ただ流すことは出来ない。素人の人でもおもしろいことが日常で起こっており、それを近くの人に伝えて、人を笑かしているという事実がある。そのような出来事はこれまで、なかなか知らない人には伝わりにくかった。それを伝えられることができるのがインターネットだと思う。近所の世間話をブログにして発信したら、おもしろいかもしれない。そのような可能性があるのではないか。

人を笑かすこと以外でも、プロと素人の境目がわかりづらいものがたくさんあると思う。プロの人に怒られるかもしれないが、料理、写真、書評や映画を見た感想、日々の出来事に対するエッセイのような文章など。個人がいつも上質な料理などを提供することは難しいかもしれないが、カレーだけ得意な人もいると思うし、状況によっては、例えば部活に疲れた息子に出す焼き肉丼なんかはプロよりもうまいのではないか。このような小さなプロフェッショナルが、多くの人の生活の中にはあるんじゃないかな。

消費のクリエイティブ

P217
自分でもよくやることなのですが、「ひとつのものを肯定したり賞賛したりするために、他のものを肯定したり賞賛したりするために、他のものを並列的に例にひいて、そちらを否定する」ということが、僕の言っている「消費のクリエイティブ」を育ちにくくしているのではないか。
http://www.1101.com/darling_column/archive/2_1113.html

これに似たようなことを、僕は日頃から感じていた。本書では焼豚が例に挙げられていたので、焼豚で説明する。自分が食べた焼豚を美味しいと素直に言うのではなくて、他の焼き肉と比べて評価することに対しての違和感を感じたことがあった。ただ「焼豚をうんめえ、うんめえ」と言って僕は食べたい。しかし一緒に食べている相手がうまいと思っているかわからない。そのうまさを伝えたいがために、何かと比較して、相手を説得しようとする。でも本当にそれをやって、良さが伝わるのだろうかともじもじすることがあった。結局それは相対的な良さを伝えているだけではないのか。もっと美味しそうな焼豚を隣のお客さんが食べていたら、僕の焼豚うまいぜアピールはどうなってしまうのかと。そんなことを思ってしまうのなら、いっそのことを目の前の焼豚に向かって「うまい!」と一言、言ったほうがましだと思うのである。

以上いろいろなことを考えさせてくれる本でした。