not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

五味太郎「大人問題」を読んで、子どもってこわいなあと思った

大人問題 (講談社文庫)

大人問題 (講談社文庫)


先日のエントリで、小学生のときに親しみがあった五味太郎のことを思い出した。
糸井重里「オトナ語の謎」を読んで、五味太郎の「ことわざ絵本」を思い出した - not good but great

絵本以外にも書いているようなので、読んでみることにした。ブックオフにたまたまあったのだ。

勝手に絵本作家は心穏やかな人だと思っていたのだけど、全然違って、結構ズバズバ言う人だった。子どもの教育について語っているのだけれど、ちょっと言いすぎな部分もあるかなと。そうあたりちょっとショックで、五味太郎はもっと優しい人であってほしかった。

言葉はスリリング
学校のテストで「雪が○○のように降ってきた」という問題を解くことになった、五味太郎の娘さん。選択肢の「真綿」や「絹糸」を選ばずに、「座布団」を選び不正解になってしまう。これに対して、五味太郎は不満を持つ。「~のように」という直喩を問題にするのは、なかなか難しいからだ。

やっぱり、言葉って限りなくスリリングなんです。そのスリリングさの学習、どこかにあるのでしょうか。

例えば、「コーヒーのように黒い」というのはありきたり。そこを「コーヒーのような洗濯機」とか「コーヒーのような一日だった。」とか、いろいろ挑戦的に本当は言葉で遊べるんだと思う。義務教育で画一的な国語指導を受けていたら、なかなか子どもはやろうとしないのではないか。やったとしても、まわりから認められにくいのかもしれない。

子どもと大人は対等
子どもと大人の対立で、いろいろ考えるからおかしくなるんだと思う。子どもが「ものを知らない人間」、大人が「ものを知っている人間」という構図で、教えようとするとおかしいことが起こる。ある事柄を知っているという状態にはなり得ないから。物事に対してはいろんな見方があるし、もうその物事に対して、学ぶことは何も無いと思ってしまってはいけない。時代の変化もあり、過去の見方が正しくなくなっているかもしれないから。従って、子どもが「ものを知らない人間」というのは、そのままで、大人のほうは「ものをひとまずは知っているつもりだけど、一緒にこれから勉強していきたいと思っています」という姿勢のほうが、うまくいくんじゃないだろうか。

黒板の前に先生が立って、その前に生徒がいるというスタイルももっと変えていけばいいと思う。子どもの中に大人を交えて授業を受けたり、先生も一緒に交えて議論するのが良い。司会は先生がやらなくても、子どもでもできると思うし。

「ビミョーな未来」をどう生きるか (ちくまプリマー新書)

「ビミョーな未来」をどう生きるか (ちくまプリマー新書)


このあたりは元リクルート社員で、夜スペで有名になった和田中の校長も努めた藤原さんの著書に詳しい。確か地域の大人を交えて、一緒に議論するという授業を設けたと聞く。
『「ビミョーな未来」をどう生きるか』読んでの感想(ネタバレあり)とゲームに例えることへの疑問。 - not good but great

子どもってこわいなあ
この本を読んで、教育問題について考えると同時に「子どもってこわいなあ」と感じた。核心を突くような質問をグサッとしてくるし、大人のウソもすぐに見破る。学ぶスピードが大人と段違いに早いし、まともにあたっていたら大人の立場、体裁が簡単に崩れると思う笑。


「みんなうんち」の発端エピソード

みんなうんち (かがくのとも傑作集―どきどきしぜん)

みんなうんち (かがくのとも傑作集―どきどきしぜん)


話は変わって、五味太郎の絵本に「みんなうんち」というものがある。それをつくるエピソードがおもしろかった。

真冬の早朝、ある用事で訪れた動物園のあちらこちらでいろいろな動物の糞から湯気がたちのぼっているのがあまりにも魅力的で、ぼくはうんこの本を描こうと思いました。結果「みんなうんち」という絵本になりました。

ほかほかと湯気が、冷たい空気の中、あがっているのが思い浮かんでくる。生命の息吹(おわり?)を感じることできるような気がして、いいと思った。


こちらのインタビューもよかった。
絵本作家 五味太郎さん(前編) | ミーテ 絵本読み聞かせ情報
絵本作家 五味太郎さん(後編) | ミーテ 絵本読み聞かせ情報