not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

山田洋次「家族」の清一はかっこわるいお父さんだが、応援したくなるような男だと思った。

長崎の島の炭鉱街で暮らす風見清一。清一は北海道で酪農をするという夢を持っており、それを諦めきれず北海道に旅立つことにした。妻の民子(倍賞千恵子)とその子ども2人、清一の父とで長崎を出ることになる。


清一の父は清一の次男が住む福山で列車を降りて、そこで暮らす予定だった。ところが清一は次男に相談もせず、島を出たことから酪農で働くことに次男は反対する。というのも次男は工業地帯で働いており、給料もよく、これからの時代(1970年代)は工業の時代だと思っていたからである。次男は自分の父も置いていくのはあんまりだと父が眠った後に言う。祖父はそれを聞いている。次男は翌朝、仕事に行かず、みんなを見送りにくる。民子がもう会えないかもねと言ったときに次男は泣いている。昨晩ひどいことを言ったことへの償い、これから大変だろうという予想から涙が出ていたのだろう。今でこそ日本にいる人には交通手段を駆使すれば1~2日あれば会える。当時は旅費もバカにならず、連絡の手段も固定電話くらいしかない。だから本当に会えないと考えても不思議ではないのだ。

一家は大阪に着く。新幹線まで時間があるので、祖父を残して万博に行く。1970年4月は万博が開始された直後で日本中がわき上がっていた。

1970年代のことについては過去に書いた。
清水義範「青二才の頃 回想の70年代」を読んだ感想と、「モーレツからビューティフルへ」の70年代 - not good but great

時間もないし金もないので家族は万博の入り口まで行く。慣れない人ごみをかき分け、子どもをおんぶしていく様子は田舎者そのもので、かっこいいとは言えない。それでも家族の中で父、母という役は大変ということが伝わってくる。

東京へ着くと、一番下の子、早苗の様子がおかしい。急いで民子は病院へ連れて行く。しかし早苗は死んでしまう。急遽死んでしまったので見ていてショッキングだった。それまではダメな清一だが、民子に支えられてなんとかやっていけそうという感じがしたが、早苗が死んでしまって、民子は精神的に沈んでしまうし清一は子どもみたいにわめいて大人げない。清一はどうしようもないやつだと思った。自分が悪いということがわかっているけど、出てくる言葉もなく、ただ落ち着きが無いというそぶりを見せる清一。

民子が早苗がなくなってから民宿へ戻ってきた時、祖父がどう言葉をかけるのか気になった。祖父はもう一人の子どもを上野動物園へ連れて行き、そこから帰ってきたときだった。

祖父「少しは眠れたね?」

早苗のことは聞かない。聞いていたらセリフっぽくなっていたと思う。こういうところの脚本は難しいと思う。

東北本線、青森の船を経由して、一家は中標津に到着する。心身ともに疲労困憊の一同を見て、酪農を営む親戚は驚く。そして早苗が死んだことを知る。ぐっすり眠った次の日の夜、みんなで飲む。祖父は歌を歌い楽しんだ。その夜、民子は起きて子どもの面倒を見る。そして祖父の体を触ると冷たくなっている。祖父は疲れからか死んでしまった。これもショッキングだった。まさか祖父まで死んでしまうとは。これで清一はどうしてこんなことになってしまったんだと落ち込む。民子は清一が泣いたら私はどうすればいいのと聞き、励ます。北海道の春は6月から。春がくれば、草木や花が目覚ましく咲き、今年は良いことありそうという気がしてくるのだ。これはどこかで聞いた話だ。たぶん「遥かなる山の呼び声」だろう。

6月が来て、辺りが緑一色になる。「遥かなる山の呼び声」を見ているようで清々しい気持ちになった。最後は民子が妊娠したという報告を聞いて終わる。


高倉健の映画ではすでに完成された男気のようなものを感じる。本作の清一にはそのような武骨さはなく、本当にダメな男に写る。しかし終盤、二人の死を体験し、それでも民子とこれからがんばっていくぞと一生懸命働く様子には心打たれる。清一はかっこわるいお父さんだが、応援したくなるような男だと思った。自分は家族を持ったこと無いので、よくわからないが父という役目は逃げ出したくなることは何回でもあるのだろうなと。そしてそれに対して高倉健のように弱音を吐かないような人なんか稀で、本当は弱音を吐いて子どものような人もいる。嫌なことがあっても生きていかねばならないし、父親でなければならないということをこの映画は教えてくれた。