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プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

演劇を通してコンテクストを理解する、平田オリザ「わかりあえないことから」を読んだ感想

劇作家の著者が演劇を通して、コミュニケーション能力について考えさせてくれる本。演劇を教育現場に導入して、コミュニケーション教育を図っている。

なぜコミュニケーション能力が必要か

月並みだが、多様な価値観を持つ人たちとうまくやるためだ。外国に行くとバックグラウンドが違う人や民族が混ざっているので、ちゃんと意見を言わないと相手にされないとよく聞く。そのために論理的に話すことが大事だとかもよく言われる。一方、日本は農耕民族だとかムラ社会だからみんな同じような価値観を持っていたのでお互いを理解しやすかった。ところが最近では人々の生活様式が多様化した。祖父母と住んでいる人、住んでいない人、商店街で育った人、団地で育った人、帰国子女の人・・・etc。日本でもみんな同じとは言えなくなってきた。

論理的思考力に加えて大事なこと

ではこれからの日本では論理的に考えれば良いのかと言われればそうではないと思う。先日のエントリーでもあったけど、何でも理路整然に進むわけじゃない。言葉を額面通りにただ受け取っても、人間の気持ちは読み取れないから。そこが現代においての人間とコンピュータとの違い。

新書「非社交的社会性 大人になるということ」を読んだ感想 - not good but great

例えば、自分に小学1年生の子どもがいるとしよう。

子どもが嬉しそうに走ってきて帰ってきた。

子ども「お母さん、お母さん、今日、僕、宿題やっていかなかったんだけど、田中先生、全然怒んなかったんだよ。」

これを読んで自分が良いお父さん、お母さんだとしたら何と答えるか。言葉を額面通り捉えたら、「宿題はちゃんとやりなさい」。本当はどうなのだろう。答えはないが、「嬉しそうに走ってきて」に注目すれば、子どもは「田中先生は優しい」「田中先生が好きだ」ということを伝えたかったのではないだろうか。

演劇を通してコンテクストを理解する

上のように一人一人使っている言葉の意味が違うことが多々ある。このような話し言葉の個性の総称をコンテクストと言う。コンテクストとは「その人がどんなつもりで、その言葉を使っているのか」という意味だ。筆者が演劇を教育に導入する理由は、演劇はコンテキストを他者と摺り合わせることができるからである。それも短時間で。

自分が普段言わないようなことを言ったり、台本を考えて他の人に言わせる。文化が違えば同じ言葉でも、全くコンテキストが違うので、応じて演技を考えないといけないのだ。例えば「砂漠」という言葉に一面砂をイメージする人、岩をイメージする人、サボテンが生えているのをイメージする人。演出家はこのイメージを共有することに専念する。よく芸人が観客の頭に自分が描いている絵を見させて笑かすことに似ている。


中高生、大学生がどんな演劇をするのかは本書に詳しく書いてある。おもしろくて一気に読めた新書だった。