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プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

セミトランスペアレント・デザイン「退屈」の内容がよくわからなかった

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ギンザ・グラフィック・ギャラリー (ggg)で開催されていたセミトランスペアレント・デザインの「退屈」という展示を見に行った。
Semitransparent Design: Boring/Bored | Semitransparent Design™


作品がいくつか展示されていたけど、解説がなく、何についての作品なのか全くわからなかった。

ものを作るという行為は本来「退屈」を減らす行為だ。目の前の美しさに目を奪われれば、退屈は失われていく。しかし、美しさを目前にしながらも退屈を感じてしまう、そんな二重化された感性を持つことによって、構造的に表(スクリーン)と裏(ソースコード/データ)から成り立っているデジタルな世界から現れて来た彼らが、本当に美だと感じているものに近づくことができるのではないか。「退屈」… 大抵ネガティブに使われるこの言葉。現代社会において「負け」に分類されるであろう状態。このザワつく言葉を選んできた辺りに、セミトラの隠された狙いが見え隠れする。そしていま、セミトラは表と裏、退屈と充実、洗練と脱臼のような相反するものが、良い具合に融合し始めているのではないだろうか。そして僕は、この先に始まるセミトラの新しいフェーズがとても気になるし、本展がその礎になるであろうと予感し、期待をしている。

千房けん輔(エキソニモ/IDPW)

このメッセージの内容もよくわからなかった。

まず自分は「美しさを目前にしながらも退屈を感じてしまう」というところに共感できなかった。退屈だと感じたことはないなあ。

そんな二重化された感性を持つことによって、構造的に表(スクリーン)と裏(ソースコード/データ)から成り立っているデジタルな世界から現れて来た彼らが、本当に美だと感じているものに近づくことができるのではないか。

なんで二重化された感性と、デジタル世界での表と裏がつながっている理由がよくわからない。デジタル世界に生きているからって二重化された感性というものが理解できるわけではないだろう。

「二重化された感性」という言葉もわかりにくい。

小難しく書いた解説を最初に読ませて、それっぽく見せているようにしか見えなかった。