not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

価値があるのは「経緯」である。

去年、立命のフリマの服がよかったので今年も行った。今年も去年のお店の人がいて良い服を売っていた。立命は少し電車のアクセスが悪く円町まで20分くらい歩かないといけない。京都の市バスは毎回混んでいるので円町の駅まで歩いた。売っているものはいいのだけれど時間、交通費コストをかけなければならない。それならばヤフオクなどのネットショッピングを利用したほうが良いのではないかと思った。しかし僕はフリマに足を運んだ。その理由を考えてみると、単にネットより安いからという結論に至らなかった。

現代ではお金があれば誰でも服が買えると思う。昔はもしかしたら身分の低い人とか職業とかで差別されてお金があっても買えない人もいたかもしれない。だから服を持っていること自体にあまり価値はないと思う。勿論、その服を変えるお金を持っているということはいいことだろう。じゃあ服の知識をいかに知っているかが重要なのかと言えばそれは一番重要だとは言えない。インターネットの発達で服屋のブログなどを見ればかなりの服の知識を仕入れることができる。この前友だちが着てる服を服好きの友だちが「これは〜のお店の服だ」と言っていた。買ったのは別の友だちなのに買っていない友だちのほうが詳しい。こういうおもしろい現象が普通に起こっている。

僕は服を買った経緯に価値が生まれていると思う。例えばA君とフリマに行きそこで服を買っただとか、店員さんと仲良くなって特別に服を取り置きしてもらって買ったとか。そういう個人的な思い出はその人しか持つことができないと思う。

しかしここに問題が生まれる。それはそのような個人的な思い出はその人と仲良くなければ知ることが難しいということだ。その人がかっこいい服を着ていても、その人がその服について語らなければ屁理屈な僕なんかは「お金があれば誰でも買えるし、店員さんに従って買えばセンスも問われないだろ!!」という風に思ってしまう。だから本当に服が好きで、その魅力を人に伝えたい人や、「俺はセンスの良い服を着ているんだぞ」とアピールしたい人はブログなどでいいから買った経緯を書くべきだろう。でないと格好だけの人と思われてしまうかもしれない。「あの人かっこいいけどおもんないよね」とどこか負け惜しみにも聞こえるような意見を言う人もいるかもしれない。実際友だちが更新している服ブログを知っている。大抵そういうのは「今日のコーデはこれです」みたいな感じで自撮り写真をアップしていることが多い。これでは買った経緯がわからないから、その服はどういう思い出を持っているのかを書いてほしい。

古着屋や服屋さんの店員もブログをしていることが多いが「この服は70年代に作られて〜」みたいなことしか書かれていないものは内容が薄いと捉えられるても仕方ないと思う。そういうのはwikiに載っているかもしれないからだ。一方で興味深いブログでは仕入れ先の写真を載せたり、外国で食べた食べ物の写真を載せたりしている。一見、そのような直接服に関係のない写真は無意味に思える。でもその服がどういう経緯で渡ってきたのかを知るうえでは大切だ。自分が着る服は北半球で生まれたのか、南半球で生まれたのか。この服の前の持ち主はどういう人なのか・・・。そういう手掛かりになるかもしれない。

僕は自分の好きなものについてじっくり話せる人が好きなので好きなものについてはとことんしゃべってほしいという思いがある。そういう思いがあるから例えその服を自分が着たいと思わなくても極端に言えば、世間的にダサいと思われている服でもその人が買った経緯を聴けばその服には新たな価値が生まれると考えている。