第122回フルサイズ55分 松本人志の放送室 - YouTube
狂牛病
そんなものあったなーというくらいの感想しか持たない。これが放送されたのは2004年の春だ。僕がまだ中学生の時である。確か吉野家が牛丼を売るのを止めたという報道がなされていたように思う。田舎の中学生だったので吉野家にも行ったことがなかったし、そもそも小遣いが1000円くらいしかないときに、外食を食べに行くという感覚がなかった。高校生になってもそれは続いており、多少は部活帰りにファミレスには行ってたが稀だった。塾に通いだしたのは高3の夏だったし、塾での友達もいなかったので、塾の合間に外食というのもなかった。よく外食するようになったのは、浪人生の時だ。昼ごはんは弁当を食べていた。夏は弁当が腐るので、「ほにゃらら食堂」のような各地域にあるチェーンの店に行っていた。たまに気晴らしで、県庁の食堂にも足を運んだ。そんなところに同年代のやつはおらんくて、サラリーマンに囲まれて、飯を食べた。おいしくなかったので1回しかいかなかった。牛丼屋にもよく行った。吉野家ではなくて松屋に行っていた。ビビンパ丼が好きであったし、味噌汁のようなものがついてきたのでお得だった。
らぁめん 丈
http://tabelog.com/okayama/a3301/a330101/33000808/
このお店にも勉強の休憩がてらに行っており、今でも帰省したらたまに行く。
天神そば
http://tabelog.com/okayama/a3301/a330101/33000016/
ここは3倍増しというのがあって、予備校の先生におごってもらい食べた。多すぎて食べられなかった。店主のおっさんが数年前に亡くなってしまい、どうなるかと思った。でも前に帰省した時に食べると、うまかったし、行列もいつものようにできていた。
腹の立つ厄年の話
あまり厄年について信じたりしないたちだ。おみくじも初詣に引く、というのも数年来やっていない。凶なんかが出たら落ち込んでしまうからだ。占いに関してはめざましテレビのやつを中高生の時に、毎朝見ていた。最下位になったときは学校に行きたくなくなった。ラッキーアイテムなんかも、信用できなかった。受験の日の朝も、「すべて良い結果になる」みたいなコメントで1位だったが、受験に落ちた笑。それからもう嫌になってしまったがそれでも1位だったら嬉しいので、見るときは上位6位まで見るようにしている。6位に入っていなかったらチャンネルを変える。余談だが我が家ではテレビのチャンネルを変える機器のことを「チャンネル」とは呼ばずに「リモコン」と呼んでいた。