not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

「赤目四十八瀧心中未遂」の原作と映画を見ての感想(ネタバレあり)と関連のある小説の紹介。

原作を読んでみて

どういう感想を書こうかと考えていたがなかなか筆?が進まなかった。あまり難しいことは書けないが、呑気に暮らしている大学生の自分には一生分からない感情がたくさん書かれていたように思う。アマに暮らしたこともないし、1回くらいしか行ったことがない。これはアマ生まれ、アマで育った人にしかわからないのではないかと感じた。アマの実生活者でしかわからない。

P182
山根は「池の底の月を笊で掬え。」と言いに来たのだ。が、それも、つまりそれだけのことだった。この言葉を私に告げることによって、山根が命を失うわけではなかった。そんな言葉が、私の骨身に沁みるわけがなかった。だが、あの夜、アヤちゃんが闇の中で私に言うた「起って。」「外して。」「あッ。」「して。」などという言葉は、これらの言葉を言うことによって、アヤちゃんは命を失うかもしれないところで、発語したのだった。山根が言うたのは、書くことによって私が命を落とすかも知れない言葉を書け、ということではあったのだろうが、併しそう言うことによって山根みずからが命を失うかも知れない言葉ではなかった。そういう謂では、口先だけの言葉であり、併しアヤちゃんの言葉はアヤちゃんの存在それ自体が発語した言葉であって、そうであって見れば私の中に残した衝撃の深さは、私の存在を刺し貫くものだった。

この場面を読んで、ずいぶん前に読んだ二つの作品を思い出した。「万延元年のフットボール」で引用されているの読んで知った谷川俊太郎の「鳥羽」と「告白」の熊太郎である。

再読したいと思った。自分の感情を本心から言うとか、言霊を宿らせてとか、言葉が自分の存在と一致する時だとかいろいろ言えるかもしれないが、陳腐だし短すぎる。なんと言えば良いのかわからない。

映画を見てみて

原作と違うところがいくつかある。主人公が坊主でない、欅の盆栽ではなくヨルガオである、終盤のラブホテルで避妊具をつけてほしいとあやちゃんから言われる場面が無いことなど。

生島の内省描写が細かく原作では書かれていたが、映画は映像なのでそのあたりを出すのが難しい。そのままナレーションとして入れるのもおかしいからだ。実は原作を読む前に、一度映画を見たことがある。それは数年前のことだったから、今回改めて見た。彫眉に「あやちゃんのオメコさすってくれんかのお」と言われるシーンなんかは一回目見たときは、ただの会話としか捉えられなかった。

彫眉は内田裕也ではなくて金髪ではない目つきが鋭いオヤジにしてほしかった。あやちゃん役は寺島しのぶよりもうちょっと綺麗な人にやってもらいたかったという気持ちもあるけど、寺島しのぶだから少し汚れた寂しい感じが出ていたのかもしれない。生島の辿々しい感じや、言葉一つ一つを発するリズムがおかしいところ、目がなかなか合わせないところはよかった。