「ユダヤ・エリート」
・パールハーバーが起こった時ハワイはアメリカの州ではなかった。
・ユダヤ教徒はキリスト教徒の身分制度から除外されるため領主のもとでの農業ができなかった。農業が出来ないので商業をはじめたユダヤ人は小さな高利貸しなどで生計を立てるようになった。
・社会が不安定になったり十字軍が結成されたりするとユダヤ人集落(ゲットー)は暴徒化したキリスト集落による襲撃を受けた(ポグロム)
・18世紀以降の啓蒙思想のもとでユダヤ集落解放が進んだ。社会差別のためにヨーロッパ各地に散らばっていたユダヤ人はその特性を生かし金融業、商業といった知的サービス業に活路を見出した。そして徐々に都市市民になっていった。ユダヤ人市民の脱宗教化、キリスト教への改宗が進み同化していった。
・公的学校教育が開始される前にユダヤ人集落ではラビ(宗教指導者)による教育がなされていた。また家族とともに頻繁に繰り返される移住経験で様々な言語の知識や多文化の知識を身につけていた。
・ユダヤ人は土着性を根拠とする保守主義から無縁であった。そのため既存の権威にとらわれない行動が取れた。
・難民を大量に受け入れたアメリカはユダヤ移民によって第二次大戦後の国際秩序における指導国となった。断言はできんけど。
・東方ユダヤ人=アシュケナージ、イベリア半島付近に行ったユダヤ人=セファルディ
・キリスト教徒に金融業が許可されるとそれまで金融業を担っていたユダヤ人は排除の対象となった。
・西欧に対して発展が遅れていたポーランドはユダヤ人を受け入れて商業を発展させようとした。領主や貴族たちは領内の農地からの徴税や資産管理の専門家として彼らを雇った。ユダヤ人は社会的な身分は低いが農民よりは豊かであった。
・フランクフルトのゲットー出身のロスチャイルド家