not good but great

プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

映画「コンタクト」を見た感想とオッカムの剃刀、自らを信じること。

ツタヤに行って、なにを借りようかと考えていたときに、そういえば以前「松本人志の放送室」でジョディフォスターのコンタクトの話が出ていたのを思い出して、借りることにした。たぶんテレビでも放映されたこともあったが、見たことはなかった。

未知の宇宙人と対面するというテーマが中心ではなくて、宇宙人がいるからもしれないという時代になったとき、人類はどういうふうに考えるのかということがテーマの中心だった。だから宇宙人がどんな姿をしているかは、あまり描かれていない。「インデペンデンスデイ」のように、宇宙人をはっきりと描いてしまうのと、さぶいという印象を受けると思っているので、宇宙人の姿が曖昧にされているのがよかった。

エリーとパーマーが惹かれ合っていくのが早すぎるのが、ちょっと気になったけどそれは映画。ご愛嬌。宇宙からの信号をキャッチするシーンは、自分が理系であることや宇宙が好きなせいか、とても興奮して鳥肌が立ってしまった。新しい発見に見入ってしまう。それは映画と分かっていてもだ笑。

暗号を解読して素数や、次元をあげて考えるところは、先日見た「CUBE」の謎解きを彷彿させた。おもしろさでは断然今回の方がよい。不思議な発射装置は、スペースシャトルのような打ち上げる形ではなく、落とすもので、かっこよかった。CGとはいえ、あれを具現化したクリエイターはすごいと思う。ワームホールを移動するところはちょっと、タイムマシンっぽく見ていて楽しかった。途中、すばらしく綺麗な銀河やヴェガが出てきて、人類が本当に太陽系以外の星に行くようになったら、もう言葉では表現できないんだろうなあ。

オッカムの剃刀が引用されていた。劇中にこんな台詞がある。

Things being equal,the simplest explanation tends to be right.
「単純な説明ほど、正しいものである」

エリーはパーマーにオッカムの剃刀の話を持ち出し、神の存在を信じるパーマーに「その存在を証明してみてよ」と言う。パーマーはエリーに「父親を愛していたか」と問い、反対にそれを「証明してみてよ(Prove it.)」とお返しする。簡単に説明できないものは正しくない。科学者なら当然の立場だ。エリーが宇宙旅行から戻ってきた際、そこでの体験を話しても議会では信じてもらえなかった。証拠が無いと妄想だと言われたのだ。おもしろいのはそこで政府の役人が同じように、オッカムの剃刀を持ち出しているところだ。エリーは役人に同意して、説明できない自分の経験を、幻覚かもしれないと言う。しかしその後で、「自らの経験を信じたい」と言うのだ。

高度経済成長を終えて日本の暮らしが豊かになった。物質的に困窮することはなくなり、人々は精神的な豊かさを求める自由を得て、思い思いの人生を全うするようになった。そこで人々の価値観というのは1つには当然ならず、様々な考え方を持つ人が増えた。そういう世の中で、自分の考え方を理解してもらうには、感情的な説明だけでは納得してもらえないので、論理的に説明しなければならない。僕は大学に入って求められている考え方や、就職活動中で求められていることの中心が論理的思考力であるということをよく耳にしていた。論理的な思考力が大切なのは、十分に分かっているのだが、今回の「コンタクト」のようなときになったとき、オッカムの剃刀の話を引き合いに出して、したり顔するのが正しいとされることなのだろうか。僕は多くの人を納得できないかもしれないが、エリーのように自らを信じたり、ラストにパーマーがエリーのことを信じたいと思う気持ちも大切ではないのかなあと感じた。