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プログラミング、アート、映画・本の感想について書きます。

私の考える「日本の技術立国論」

私の考える「日本の技術立国論」
日本の技術について語るとき日本が1945年に敗戦したことについて語らないわけにはいかない。日本が負けた原因についてここで述べるのはテーマから反れるのでやめておく。日本が負けたとき広島、長崎は原爆で焼け野原、降伏寸前に空襲された大阪も大打撃を受けた。勿論東京も目を覆いたくなるような光景であったろう。ただでさえ山ばかりで資源がない日本にとって戦後はゼロからのスタートだった。敗戦後外国人兵士が日本を闊歩し子どもたちは「ギブミーチョコレート」と叫んだ。マッカッサーのサングラス姿は平成生まれの僕らにも広く知れ渡っている。

「日本はスペインロシアの無敵艦隊であるバルチック艦隊を撃破したんだぞ」と中学校の歴史の先生が嬉しそうに語っていたことを思い出す。そうか日本は強かったんだと当時の僕は盲目的に思ったが大学生になり本を読むとそうでもないことが露呈してきた。スペインのバルチック艦隊は確かに強かったがあれはクタクタの状態の艦隊を日本がやっつけただけだと聞く。勝つべくして勝っただけである。こうして考えると戦争が終わって60年以上経つ今でも日本軍は強かったと考えている大人がいて恐ろしい。日本は強くないと考えるのが妥当だろう。現在でもそういう考えを持っている人がいるくらいだから当時日本は絶対勝つという考えで染まっていたと思う。

「絶対勝つ」というフレーズはスポーツの場でよく耳にする。サッカーのW杯がそうだ。日本戦での盛り上がりは近年目を見張るものが合って僕も友人と一緒に釘付けになった。W杯という世界の舞台は実力の差が顕著に出る。2006年W杯日本はブラジルに4-1で負けた。試合後中田英寿がピッチで寝転がったやつだ。あの日韓ワールドカップが行われたとき日本は開催国なので無条件で出場でき、ホームと言うこともありすごい熱気だった。でも惨敗した。大人と子どもがサッカーをするように手玉に取られていた。試合前、日本はサムライJAPANを掲げ「絶対勝つ」はないにしても勝てるかもしれないと言ってる人がたくさんいて鼻から負けを認めている人は少数でそんな人がいたら排除されるような空気だった。それは戦争の時と何も変わっていない。日本がものづくりの国で技術が卓越しているという自負にもこれは当てはまると思う。日本の技術がトップクラスだった時期もあったがそれは過去のことでグローバル化が進む現代では各国が技術のしのぎを削っている。日本を誇りに思う愛国心と日本の現状を美化することを混同してはならないと思う。勉強をし技術をつけなければ皆に追い越されて食っていけないと思っている中国やインドに勝てるわけがない。彼らはハングリーなのだ。日本人はハングリーさに欠けているというかもうないんじゃないかというくらいだ。

だからもう一度嘗て抱いていたハングリーさを取り戻すべきだ。戦争に負けアメリカ人に偉そうにされた時のことのように。ここで注意してほしいのは僕は反米思想を広めようとしているわけではないということだ。あの頃僕は生きていなかったので詳しいことはわからないが日本は当時アメリカに「憧れと嫉妬」を覚えていたのではないか。アメリカの戦車、爆撃機に歯が立たず屈辱を覚え負けたくないと思ったことだろう。政治的にはアメリカに屈していたかもしれないが人々の心には負けたくない、アメリカのように発展していきたいという気持ちがあったはずだ。モノがない時代からモノづくりの時代へ。当時のお父さんたちは働きに働き日本を発展させようとがんばった。高度経済成長期にあたる1960年代~1970年代にかけてその勢いはものすごいものであったことだろう。文化面においてもアメリカ・ヨーロッパは秀でていたと思う。ビートルズが世に出てロックンロールでいっぱいになった。ストーンズツェッペリン、ドアーズが日本の街に流れた。日本人では出せない音に感動を覚えた人もいるかもしれない。日本人と違う顔つきのものたちが日本にはない素晴らしい音楽をやっている、こう嫉妬したことだろう。

ではどうすれば憧れや嫉妬を獲得できるのだろう。答えは「強欲になること」である。欲を出せばいいのだ。「〜したい」「〜が欲しい」と常に思っているかどうかである。欲を出すことは行動のエネルギーに繋がる。今の若い人は本当に欲が無くなってきていると思う。顕著な例が「草食系男子」である。「かわいい子を彼女にしたい」という欲は若い男なら誰でも持っているものだ。恋愛に対して理屈っぽくなるのは良くない。相手が人間なのだから合理的でないのは当然だし矛盾の連続だ。そうしたマイナス面を理由につき合うとめんどくさいとか自分の時間を持ちたいと言う男子が後を絶たない。そういうマイナス面を無視してでも行動に出す無茶な感じが欲しい。あまりにも日常的な欲なのでもっと夢を持ってそれに突き進む欲のほうを予想していた人も多いかもしれない。僕はそのようなデカい欲は現代の若者にはキツいと思う。肉体も精神もひょろひょろなのである。それに今の日本はインフラが整い、食べ物があり、働き口がなくても生きていけるような超安全大国だ。僕は昨年の夏に途上国であるネパールに行ってきた。ネパールではまず水道水を飲むことができない。日本では当たり前飲めるのだがミネラルウォーターを買わなければならない。ホテルのトイレには紙がなく持参しなければならない。食べ物は安いのだがファーストフードの代表であるマクドナルドがない。街には盲目の物乞いや薬物中毒の人で溢れている。僕は日本との違いに愕然しこれまで当たり前であったことが当たり前でないということを知った。ネパールで働いてお金を稼ぐことはなく前もって持ってきたお金で1カ月ほど生活したが少しだけ必死さを覚えた気がする。それに綺麗なベッドで寝たいとか水道水が飲みたいと言った欲が日々生まれていた。日本に帰国して水道水をがぶがぶ飲んだことは忘れないだろう。そんな安全で困らない日本でどのようにして欲を出せばよいかと考えたとき身近なことに欲を出すしかないと思ったというわけである。

欲があってこそモチベーションが保てるだろう。欲を持つことについて考えなければいくらグローバル化が進んで英語を学ぶべきだと声を大にしても無駄だと思う。もっと外国の文化に触れてみたいとか外国を舞台にしてかっこよく働きたいという欲がなければ意味がない。日本を技術で発展させる前に日本を良くするためには欲が大事である。

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