見てみると、何度も涙が出てしまうシーンがある。特に惹かれるのは、具体的にコレという場面というよりも、高倉健演じる山岡と田中裕子演じる知子との夫婦関係であった。山岡の先輩特攻隊員であった金山の許嫁であった、知子と結婚した山岡。金山が死に、ふたりで寿命を全うしようと誓う。二人で子どもを作らないと決めたのも、金山のことがあり、作ることはとてもできないのだろう。金山が気に入っていた山岡の弾くハーモニカ。知子はずっと聞いていたことがなかった。山岡が一人船で弾いていると、「初めて聞いた」と知子が言う。金山のことを思い出させてしまうから、知子の前では弾くことができない。かと言って、山岡が金山のことを忘れるわけにはいかない。だからハーモニカはいつまでもピカピカだ。
金山の遺言を聞いていた山岡が、知子に言わなかったのも山岡の強い意志を感じる。検閲を通した遺言など残すのは嫌と考えた金山は、自分の後に特攻へ向かう山岡に口頭で遺言を伝える。「特攻が特攻に残してどうする?」と笑う金山の言葉もあり、ずっと知子には言わなかったのであろう。金山の遺族が韓国で見つかり、知子と一緒に遺品を届ける決心をした山岡。知子の病状のこともあり、残り少ない命を考えて、やっと言うことにしたのだろう。
この作品を通して思ったのは、人に自分のことを覚えていてもらうことは本当に幸せだということだ。時が経つと、特攻隊のことや戦争のことも人々は忘れてしまう。死んでいった人、そこで苦しんだ人が忘れられたら、彼らの死や苦しみは一体何だったのかということになる。ホタルの話も、食堂の富子おばあさんから藤枝の孫へと伝えられた。
ちなみに僕は平成元年生まれなので、ちょうど僕が生まれた年が舞台の年となっている。フィクションとは言え、昭和が終わった瞬間、実際に藤枝のようなことを考えた特攻隊の生き残りはいたのではないかと思う。自分が生まれた頃のことは記憶がないで、知ることが大切だと思う。このような映画によって、過去の戦争も今に伝わるし、自分のような元年生まれの人が人一倍思い入れを持つことだろう。とても意義のある作品だ。
途中読みの天童荒太の「悼む人」を思い出した。続きを読もうかな。