- 作者: 河合隼雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/10/21
- メディア: 文庫
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源氏物語の父性とか母性の話が難しくて、前半くらいまで読んで一旦ストップ。源氏物語の現代語訳を軽くでも読んでないと、楽しめない内容だと思ったw
Kindleのハイライト部分から引用が多いけど、メモを書いておこう。
神話の役割
神話は集団のルール、共通理解を促進するツールみたいなものだったのかなと思った。人間の集団がある神話を共有し 、全員がその神話の中に生きている限り 、その集団は安泰であり 、その集団の成員は安心して生きておられるし 、とりたてて 「私はなぜここに存在するか 」などというような根源的な問いを発する必要もない 。古代というのは 、そういう時代であったことだろう 。
聖書ではない自分の物語の構築
「物語 」はすべて 『聖書 』に語られているので 、ある人間が 「物語 」をつくるなどということは神に対する冒瀆とさえ考えられたのではないだろうかキリスト教文化圏では物語は聖書を採用してるっぽい。
個人主義の 「個人 」をどう考えるか 、は世界の問題であると思う 。個人の能力や欲望を伸ばすことを第一に大切なことと考える 。それはいいとして 、そのためには少なくとも二つの点に対する考慮が必要である 。それは 、他人との関係をどう考えるか 、という点と 、自分の死をどのように受けとめるか 、という点である 。聖書を参考にしないなら、この二つについて考える必要がある。
個人主義をとるのなら 、各個人は自分の物語を創造する責任をもっている 。と言っても 、各人はすべて人間であるとか 、何らかの文化や社会に属するということで 、それなりに共通項をもっているだろう 。それに 、芸術的 、宗教的天才と呼ばれた人たちが優れた物語を残している 。各人が自分の物語を生きるにしろ 、それは過去につくられた何らかの物語と親近性があった明確な答えは知らないが、過去の偉人が残した物語に共感したり、日々の生活で、人と触れ合う中でいろいろ感じたりすることで物語は作られるのかな。知らんけどw
近代科学が適用できないこと
近代科学は対象となる現象を人間とまったく切断され 、一義的に定義できるものとして構築されるので 、対象と自分との関係を考慮に入れたり 、対象が多義的な様相をもつときは適用することができない 。
科学 ・技術の力によって 、人間の可能性は無限に拡大していくように思われる 。しかし 、自分が年老いてすべての能力が衰え 、死ぬことのみ明らかというときに 、科学 ・技術は何を提供してくれるのか 。例えば、親しい人が交通事故に遭ったとする。その理由を考えると、近代科学では前方不注意で事故ったとなる。しかしなぜ親しい人が事故に遭わなければならなかったのか、なぜ他の人じゃなかったのかについて、考えようとしても、近代科学の答えじゃ納得できない。
引用ばかりになってしまったww おわり。